幽霊が書いた小説があった!~本物のゴーストライター、ペイシェンス・ワースが小説を書き始めた日 | 謎カレンダー

幽霊が書いた小説があった!~本物のゴーストライター、ペイシェンス・ワースが小説を書き始めた日

6月22日
二十世紀初頭のアメリカではウィジャ盤によって呼び寄せた霊が、自動書記によって本を出版したという事例がある。




ウィジャ盤とは何なのか?


ウィジャ盤とは、降霊術もしくは心霊術を崩した娯楽のために用いる文字版のこと。
ウイジャ(Ouija)とは、フランス語で「はい」を意味する Oui と、ドイツ語で「はい」を意味する Ja から作られた造語である。19世紀中盤に始まる心霊主義に起源を持つ。
当時は人の死後の霊魂と会話するために振り子や自動筆記などの技術を用いていた。

事の起こり~ペイシェンス・ワースが現れた日


1912年 ミズーリ州のセントルイス。
2人の婦人が午後の時間を楽しんでいた。二人の目の前にはウイジャ盤がある。
婦人のうち1人はエミリー・ハッチング。1人がパール・カラン(Pearl Lenore Pollard Curran)といった。

1年後の1913年になっても、2人はまだ飽きることもなく、ウイジャ盤に挑んでいた。
友人達も招いていたこの日に限ってウイジャ盤は初めてまともな文章を綴り出した。

「私は昔、この世で生きていた者です。今、再び戻って来ました。私の名前はペイシェンス・ワースといいます。」

示された文字を書き取っていた友人が、作られた文章を読み上げると、友人たちからは歓声が上がるとともに「どっちかが強引に手を動かせて文章を作ったんだろ?」という笑いも起こった。
カラン夫人とハッチングス夫人は、「絶対、そんなことはしていないわ。本当に手が勝手に動いたのよ。」と2人とも言い張る。




ペイシェンス・ワースとは誰なのか?


「ペイシェンスさんは、どこにいるのですか?」と、カラン夫人が空中に向かって質問した。「海の彼方(かなた)です。」と答えが返ってきた。
「海の彼方とはどこのことですか?」と再びカラン夫人が聞くと、
「だんだん私のことは分かってきます。過去のことを聞く必要はありません。」
「今後はあなたたちと話がしたいのです。私の言ったことを本にして残して下さい。」

という返事が返ってきた。綴られた文章はここまでだった。
後はカラン夫人が何を聞いても、ウイジャ盤は反応しなくなってしまった。しかし1年も続けてようやく霊との交信が成功したのだ。カラン夫人は大喜びであった。

その後の交信でわかったことは、ペーシェンス・ワースはまずイギリス出身であること。
1650年にドーセットシャーで生まれたこと。
そして1670年にニューイングランドへ移住し、その移民先でインディアン(ネイティブ・アメリカン)に襲撃され喉をかき切られて殺されたクエーカー教徒の女性であったことをペイシェンス・ワースは語った。

 そして霊が小説を書き始める


異変は1913年6月22日に起こった。
その日のウイジャ盤はいつもとひと味違った。
『PAT』という文字列を数回繰り返した後、唐突に文章を綴り始めたのだ。

「おお、なにゆえに悲しみを汝が心に入るるや?
汝が胸はその養い母にすぎず
世界はその揺籃(ゆりかご)、家郷はその墓所にすぎず。」
さらに、ウィジャ盤には文字が綴られた
「休み給へかし、やつれ果てし心よ。
かの陽の光をのみ内なる寺院へ入れさせ給へ。
一筋の光貫きて凍れる魂を暖めることあらん。」

自動書記で書かれた小説が出版される?


それ以降、メッセージの量はこれまでとはケタが違いとなった。
最後にはウイジャ盤さえも必要なくなり、カラン夫人がペンを持って紙の前に座ると、手が勝手に動いてすごいスピードで文章を書き始めるようになった。

どれもきちんとした意味のある文章であり、それは詩であったり小説であったりした。
こうして5年間にカラン夫人が書き取った文章は400万語にも及んだ。ペイシェンス・ワースは約25年にもおよぶ活動期間で、6の小説、数百ページの詩編、そして膨大な会話文を残している。
初期の小説を書き上げた頃には、ペイシェンスワースと名乗る霊とパール・カランはちょっとした有名人になっていた。セントルイス・グローブ・デモクラット紙で特集が組まれたからだ。そして他紙の新聞記者も自動筆記に立ち会った際に感銘を受け、その名は全米にとどろくに至った。

「ペイシェンス・ワースこそ我が名なり。」



ペイシェンス・ワースなどというのは存在しない、存在したとしてもそれはパール・カラン(写真)の第2人格であろう。そんな指摘は当時からあった。
パール・カランは学生時代、勉学に無関心な生徒だった。
自分の容姿を醜く思い、それが原因かは定かでないがノイローゼとなりハイスクールを中退している。

だから、というのは軽薄な意見ではあるが二重人格、あるいは精神薄弱に起因する詐術だったのではないかという懐疑的見解もある。

とはいえ、ペイシェンス・ワースに残した小説や文章は、後の分析によると、17世紀のイギリスの方言が多用されていることが分かった。はたしてペイシェンス・ワースとは一体誰だったのか?

Next Post前のナゾへ Previous Post次のナゾへ ホーム