少女たちは一体どこへ消えてしまったのか?~謎だらけの「ハンギング・ロック失踪事件」が起きたとされる日 | 謎カレンダー

少女たちは一体どこへ消えてしまったのか?~謎だらけの「ハンギング・ロック失踪事件」が起きたとされる日

2月14日
1900年2月14日、聖バレンタイデー。オーストラリアのメルボルン郊外のウッドエンドという町にあるアップルヤードカレッジの女学生数人が、美しい岩山のあるハンギングロックにピクニックに出かけることになった。本来ならば楽しいピクニックでおわるはずであった。
しかしその途中、女学院の生徒3人と教師1人が忽然と消えてしまう。

現在にいたるまで謎の多い失踪事件として語り継がれる「ハンギングロック事件」の始まりである。





事件の始まり



「ハンギングロック事件」は、のちに作られた映画「ピクニック・アット・ハンギングロック」(画像・ピーター・ウィアー監督・現在はほぼ絶版)によっても、よく知られる事件となった。映画は映像の美しさも伴って、現在もカルト的な人気をほこっている。

事件のはじまりはアップルヤードカレッジの女学生数人が、美しい岩山のあるハンギングロックにピクニックに出かけることになったことから始まった。



 オーストラリア・メルボルンから北に80キロメートル程、ヴィクトリア州マセドン山近くには、通称ハンギング・ロック(首括り岩)と呼ばれる奇怪な岩山が存在する。1900年2月14日の聖バレンタインの日、そんなハンギング・ロックの麓を、ヴィクトリア調の白いドレスをまとった一団の女性達が訪れた。彼女らは地元アップルヤード女学校の生徒達で、ピクニックを兼ねた課外活動のためやって来たのである。女子生徒19名と教師2人は、学校から66キロ離れたハンギングロック山へとハイキングに出かけた。



4人の少女たちはどこへ行ったのか?



昼食の後、生徒の1人であるマリオンが、岩山の散策をしたいとマクロウ先生に申し出た。マクロウ先生が許可を出したため、マリオンと3人の少女、アーマ、イーディス、そして「ボッティチェリのよう」と言わしめる程の美貌を持つ少女、ミランダ(写真・映画)が同行した。
4人は純白のドレス姿でハンギング・ロック山頂に向けて歩みを進める。



時間がたってもまったく戻ってこない4人に対して、そろそろ先生たちも心配しはじめていたころ、突然イーディスだけが皆の元に戻って来た。たった一人で、ヒステリックに叫びながら。
一体何が起きたのか、同行した3人はどうしたのか、問いただそうにも彼女は半狂乱で要領を得ない。しかもマクロウ先生の姿まで消えていた。


翌朝、早速捜索隊が結成されるも、4人の行方は一向に掴めない。(画像:実際のハンギングロック)一方、回復したイーディスの口から、彼女が何を見たのかが語られる。ミランダ、アーマ、マリオンの3人は靴とストッキングを脱いで岩陰に消え、自分は怖くなって後の道を引き返したのだと。またこうも語った。引き返す途中、岩山に向かうマクロウ先生の姿を見かけたが、先生はスカートを履かず下着姿であったのだと。しかしそれ以上のことはイーディスの記憶から抜け落ちていた。

こうして、生徒3人と先生1人がこつぜんと消えてしまったのである。

事件から1週間後にみつかった少女


必死の捜索にも少女と先生たちの行方は決してわからなかった。
しかし、事件から1週間後岩場の陰で気を失っている1人の少女が発見される。消えた3人の生徒の1人、アーマであった。
アーマはすぐに町に運ばれ医師の治療を受ける。だが彼女の様子に医師は首を傾げた。事件から一週間が経過しているにも関わらず、手と頭に軽傷を負っていただけで、白いドレスは綺麗なままだったからである。ただし、身につけていたコルセットは失われていた。そして彼女もイーディス同様、ハンギング・ロックで何が起きたかについて、ほとんど記憶していなかった。

やがて捜索は打ち切られ、ミランダ、マリオン、マクロウ先生の3人は、失踪したまま死亡したと推定された。
ここまでがハンギングロック失踪事件のあらましだ。

謎多き事件の真相は?


この事件、実は創作かもしれないという疑惑がある。

映画の原作は、ジョアン・リンゼイというオーストラリアの女流作家が1967年に発表して評判を呼んだ同名の小説である。実際に起こった事件を小説化したということだったが、実は当時の新聞を調べてみると どこにもそんな記録は残っていないという。
小説の作者ジョアン・リンゼイはインタビューのなかで この物語が真実であるかどうかという質問に対して、こう答えているという。

「私は物語が事実またはフィクションかどうかあなたに伝えることができません。 
 しかし多くの非常に奇妙なこと(論理的な説明を持っていないこと)が 
 ハンギング・ロックのエリア近くで起こりました。」 

類似した事件が実際にあったようだが、当時のこの事件を扱った警察署は火事になり記録は消滅、 新聞にも記録は残っていないという。
作者のジョアン・リンゼイは現在すでに亡くなっており、 真実は藪の中ということか。



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