呪われた幽霊屋敷「オーシャンアベニュー112番地」の真実~映画化された「アミティビル事件」の驚くべき真相とは? | 謎カレンダー

呪われた幽霊屋敷「オーシャンアベニュー112番地」の真実~映画化された「アミティビル事件」の驚くべき真相とは?

11月13日

1975年12月、 ニューヨーク州ロングアイランドの町アミティヴィルの郊外の住宅で、ジョージ&キャシー・ラッツ夫妻が3人の子供を連れて引っ越してきた。
その直後に突然、常識では考えられないような不思議な現象が起こり始めた。
彼らが引っ越したのは「オーシャン・アベニュー112番地」(写真)。

後に「呪われた幽霊屋敷」として有名になり、「悪魔の棲む家」として映画化もされた有名な幽霊屋敷だ。
ラッツ夫妻が引っ越す1年前、実はその家では凄惨な殺人事件が起こっていた。
「アミティビル事件」として有名になったこの一連の事件は、後に驚くべき展開を迎える。
果たして、「アミティビル事件」の真相は?


引っ越してきた家族に起こる、さまざまな怪現象


(写真:ラッツ夫妻)

怪現象が始まったのは1975年12月。
ニューヨーク州ロングアイランドの町アミティヴィルの郊外の住宅で、新婚のジョージ&キャシー・ラッツ夫妻(写真)が3人の子供を連れて引っ越してきた直後に起こったという。

怒った赤い目が夜に家の中を覗き込み、雪の上に悪魔のひずめの足跡が残されたり、悪魔のような少年の幽霊が現れて、その姿が写真に収められたともいう。

ここをクリックすると、殺された少年の幽霊が写っているとされる写真が見れます)

また、強力な力でドアがちょうつがいから外れて吹き飛び、妻キャシーの胸部には妙な赤い印ができて、ベッドから約60センチも宙に浮いて、夫ジョージは妻キャシーが醜い老魔女に変身するのを見た。
家の壁から緑色の液体がにじみ出て、壁にかけた十字架は頻繁に勝手に上下逆さまになったともいう。
これらの説明することのできない恐怖が続いたため、家族は家を追い出されるように飛び出し、二度と戻らなかった。彼らはたった28日間しかその家に住むことができなかったという。

実はラッツ夫婦が引っ越してくる1年前に、この家が現場となった凄惨な殺人事件が起こっていたのだ。


「オーシャン・アベニュー112番地」の殺人事件


(オーシャン・アベニュー112番地)

この「オーシャン・アベニュー112番地」は1924年に築造された、ベッドルームが6部屋ある20世紀初頭風の家屋だ。(写真)
1965年、ラッツ夫婦の前の住人デフィオ(DeFeo)一家がこのオーシャン・アベニュー112を購入した。一家は夫婦と5人の子どもたちがいる7人の大家族だった。裕福で平和に見えた一家は、悲劇的な最期を遂げることになる。

                                    (写真:長男・ロナルド・デフィオJr)
1974年11月13日。
長男のロナルド・デフィオJr(写真)が酒場に駆け込んで、彼の家族全員が撃たれたと助けを求めた。
警察はデフィオの家で6人の死体を発見し、その後の捜査で、酒場にかけこんできたこの家の23歳になる長男ロナルド・デフィオJrが、彼の両親と4人の兄弟姉妹全員をライフルで射殺したことが明らかになった。

(事件を報じる当時の新聞)

後の1975年の裁判で、彼は「頭の中にいる何者かの声に『殺せ』とせき立てられていたのだ」と主張したが、麻薬の常習的な摂取が認められたため終身刑の判決を受け、現在も刑務所に収監されているという。

なぜ殺人の起きた家を購入したのか?


この事件のわずか1年後、ラッツ夫妻はこの家を買った。
前に住んでいた一家が殺され、しかも犯人は長男という、いわくつきの物件ではあったが、破格の値段であった為に家の購入を決意したという。
しかも、その家は家具付きで売られていた。つまり、殺人事件のあったデフィオ家のすべての家具は、殺人があった晩からそのままだったという。

ジョージ・ラッツはその殺人のことをもちろん知っていたので(知らなかったという説もある)、念のためその家のお祓いをしてもらうため、妻キャシーの知り合いの神父を呼んだ。
カトリックの聖職者であるラルフ・J・ペコラーロ神父は、聖水を撒いて祈ったが、彼には「出て行け」という男の声が聞こえてきて、さらに焼印に見える火傷を負ったという。

(ラッツ夫妻と息子)

ラッツ一家は不安が残るものの、その後この家に住み始めた。
しかし、引越し後すぐに前述の怪現象が発生し、ジョージ・ラッツは毎晩デフェオが殺害を行った深夜3:15になると何者かに起こされ、妻がベッドからふわりと浮かぶのを見たともいう。
結局、ラッツ夫妻は28日だけしかこの家に住むことはできなかった。

「アミティビル事件」の真相


このラッツ家の話はジェイ・アンソンによって小説化され、『アミティ・ビル・ホラー』として全米でベストセラーとなった。
さらに、1979年にはジェームス・ブローリンとマーゴット・キッダーの主演で映画化までされている。’
(邦題・「悪魔の棲む家」)。映画もヒットを飛ばし、9本もの続編が作られた。

しかし、後になってから、この話には驚くべき真相があることがわかったのだ。

確かに112番地の家で過去に一家惨殺事件が起こり、そこにラッツ一家が越してきた事や最後の結末は 事実である。



しかし、肝心の怪現象については、 現在では小説を著した作家アンソンによる完全なフィクションであり、 ラッツ夫妻の証言も嘘である事が判明している。
当時、経済的に困窮していたラッツ夫妻は、惨殺事件の裁判で犯人ロナルド・デフェオJrの弁護をつとめた弁護士のウィリアム・ウェバー が持ちかけてきた話にのり、悪魔が棲みつく家として一連の怪談話をでっち上げたとされている。

こうする事で、弁護側としては「家にとり憑いた悪魔の仕業で殺人を犯した」と、デフェオの罪を少しでも軽くする狙いがあったと見られ、ラッツ夫妻にとっても、怪現象の体験談を出版する事で多額の収入を得る事が出来るとされたのだ。

また、1974年当時は、映画『エクソシスト』が公開された事もあって(「エクソシスト」関連記事こちら)、 ある種のオカルト・ブームが巻き起こっていた時期で、出版された『アミティヴィルの恐怖』はベストセラーとなったという背景もあったという。

果たして本当に「作られた嘘」だったのか?

(現在は住所が変更されている)

そもそも、この話が有名になったのは、本が出版される前に、アメリカでも著名な心霊学者夫婦・エド&ロレイン・ウォーレン(夫はカトリック教会が唯一公認した悪魔研究家であり、妻のロレインは透視能力者)がテレビ番組内で検証したことからだという。
その二人がカメラの前で、その家は悪意のある魂に苦しめられている、とカメラの前で証言したことからこの話が有名になった。

エド&ロレイン・ウォーレン夫妻)

ウォーレン夫妻(写真)は、後にもアミティービル・ホラーは「本物の幽霊の出没だった」と主張しており、彼らの経験をウェブサイトに記述している。
また、嘘の怪現象を語ったとされるラッツ夫妻はその後裁判でポリグラフ(嘘発見機)にかけられているが、2人とも判定結果は「虚偽ではない」とされている。


(ラッツ夫妻の息子ダニエル・ラッツのドキュメンタリー「My Amityville horror」)

さらに、2013年になって、ラッツ夫妻の息子であり、当時10歳だったダニエル・ラッツが、「あれは真実だった。」と語っている。
その後、ラッツ夫妻は離婚したそうだが、ダニエル・ラッツは夫妻が主張していた不思議な現象が本当であり自分も実際に見たと語っており、後に彼のドキュメンタリー映画「My Amityville horror」までつくられた


この家はラッツ一家の騒動の後、1977年にジェームズ・クロマティー夫妻が購入し、 1987年に売却されるまで10年間に渡り彼らが住んでいたが、 夫ジェームズは、「映画や本の所為で大勢の人達が訪れてきた以外は、何も奇妙な事は起こらなかった」と告白しているそうだ。

なお、現在も見物人が絶えないというこの幽霊屋敷は、事件当時、人の顔のように見えるといわれていた特徴的な窓(扇型の窓・写真参照)も改装され、2010年の段階で115万ドル(約1億円)で売りに出されているという。


Next Post前のナゾへ Previous Post次のナゾへ ホーム