日本では感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得した「フランダースの犬」。
しかしヨーロッパではほとんど知られていなかった。それを本国ベルギーのヤン・コルテールが本国でも有名にさせ、『フランダースの犬』研究家として知られるようになる。・・・2008年、彼が日本人の妻を殺害した容疑で逮捕されるまで。
■「フランダースの犬」はなぜ日本でだけ愛されたのか?
「フランダースの犬」はもとは1872年発表のイギリスの童話で、原作者の女性がベルギーの風俗をイギリス人の目で偏見的に描いていたものだった。
「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」
こんなことを書いていたら、ベルギーを始めとするヨーロッパで人気が出るわけがない。
「この地方は荒れ果て、人々は不親切で、しかも愛すべき犬を何代にもわたって、激しい労働に不当にこき使っている」
こんなことを書いていたら、ベルギーを始めとするヨーロッパで人気が出るわけがない。
ところが日本では、1975年に感動的なアニメが作られたために爆発的な人気を獲得した。
80年代からの海外旅行ブームでは、ベルギーのフランドル地方観光が定番コースの一つとなったほど。もっとも、ルーベンスの絵を観ることはできても、『フランダースの犬』にまつわるものがそこには何一つない。日本人がガッカリして帰国するのが、当時のツアーのお決まりのパターンだったという。
■アントワープの観光局員ヤン・コルテールの活躍
1982年、大きな転機がやってきた。
ベルギー・アントワープの観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、日本人観光客から『フランダースの犬』という物語の存在を聞いたことが発端だった。生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼は浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。
地元を愛し、それが故に地元の観光局に勤めた彼。そんな青年だった彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかったのだ。
ベルギー・アントワープの観光局で働いていたヤン・コルテールという男性が、日本人観光客から『フランダースの犬』という物語の存在を聞いたことが発端だった。生真面目な性格で、面白みのない変わり者と思われていた彼は浮いた噂もなく、恋人はおらず、友達も少なかった。
地元を愛し、それが故に地元の観光局に勤めた彼。そんな青年だった彼は、地元に関係する噂話を聞き逃さなかったのだ。
彼は原作を探したが、図書館などで資料を探すうち、とうとう、60年の間、二、三度しか借りられていなかった原作を見つけた。しかし、原作はまったく感動できるシロモノではなかった。
日本人との感想の差があまりにも不思議になった彼は日本語を学び、日本人観光客の友だちを作り、帰国した彼らからアニメビデオや童話集を取り寄せてみた。
その結果……感動したのだった。
一年半かけて調査を行ない、原作の舞台が近くのホボケン村だと突き止めた。原作に描かれた運河がスケルト川だったことも分かった。ついには風車の跡(写真)も発見する。
■晴れてベルギーでも観光スポットへ
ルーベンス以外にこれといって観光資源のない街に、もう一つの観光シンボルが生まれるかも知れない。そういった周囲の思惑も重なり、ついには1985年、ネロとパトラッシュの小さな像(写真)が、ホボケン情報センターの前に立てられた。
風車は観光客向けに作り直された。(写真)ネロとパトラッシュが共に埋められた街の教会は、観光コースとなった。ルーベンスの作品を観るためにアントワープを訪れていた日本人観光客がホボケン村にも立ち寄るようになった。その地域は観光収入でおおいにうるおい、観光局勤めの彼の名声も次第に上がった。
その後、ヤン・コルテールは『フランダースの犬』研究家として知られるようになる。その地域では日本通として知られ、日本との橋渡し役としても活躍するようになり、大の親日家となった彼は、日本人女性と結婚した。
■そして、殺人事件へ
しかし、ヤン・コルテールは2008年、日本人の妻を殺害した容疑で逮捕された。
コルテールが妻を殺したのは、妻の浮気のせいだった。
コルテールと妻は結婚して数年は、大変幸せそうだったそうだ。だが、次第に妻は旦那の拘束がうとましくなってきたらしい。
日本を愛し、日本人女性と結婚までした彼は、結局その愛する妻を殺してしまったのだ。
記事からわかることだけを記述すると、「ベルジャンデイリーの記事によると、2008年1月23日水曜日、ヤン・コルテール氏は、アントワープの自宅で妻を殺害した容疑で逮捕された。隣人によると喧嘩している声が聞こえてきたが、とめる時間はなかったという。警察は殺害の方法の詳細については言及していないが、ナイフが使用されたとみられている」とのこと。
現実は、『フランダースの犬』以上に救いようのない話だったようだ。