アインシュタインが72歳の誕生パーティーの帰りの車に乗り込んだときに開けた窓越しに記者の要望に応えてINS通信社カメラマンだったアーサー・サスの「笑ってください」というリクエストに応えてした表情を撮ったものである。
Dr. Frank Aydelotte夫妻と歩いているときに、レポーターに追われ、写真の前でポーズしたり微笑んだりすることに飽きていた。
夫妻もいっしょに3人写っていた写真だったが、アインシュタインが気に入って自分だけ切り取って、知人への見舞いカードなどに貼って送ったらしい。
実際は滅多に笑わない人だった
ノーベル賞受賞後、ニューヨークで、ある少女に数学を教えていたことがあった。少女の母親が、娘の家庭教師がアインシュタインと知って、慌てて彼の元を訪れたが、そのとき彼は「私が彼女に教える以上のことを、私は彼女から教わっているのだから、礼には及びません」と返答した。
1955年4月13日、腹部動脈瘤の破裂により心臓付近の痛みに倒れる。4月15日にプリンストン病院に入院し、周囲から手術を勧められるもこれを拒否。入院中の間、駆けつけた長男ハンスと面会した他、病院でも研究を続けるべく秘書に電話を掛け、必要な用具を持って来るよう伝えてもいる。4月18日の午前1時過ぎ、アインシュタインは76歳の生涯を終える。
アインシュタインがこの世を去ったあと、家族の許可なく彼の体から取り出される。
葬式は本人の希望によりひっそりと行われ、参列者は12名しかいなかった。火葬後、遺灰は教鞭をとったプリンストン大学近くのデラウェア川に流されたが、脳だけは火葬されずにプリンストン大学へ寄贈された。葬式ではゲーテがシラーに書いた追悼文の一節が読み上げられたという。
その死体を前にした解剖担当医、トマス・ハーヴィーは、脳を取り出して重さを計った。それは平均的な脳よりやや軽かった。予想に反した結果に納得がいかず、彼はその脳を元に戻さず盗み出す。
盗み出したことが病院にバレて、ハーヴィーは解雇。なんとか近親者の許しを得た彼は、アインシュタインの脳を家に持ち帰る。しかし、調べ方がわからず、脳のスライス標本をほうぼうの脳研究者に一方的に送りつけた。それから40年たって、カナダの学者に調べてもらえることに。脳のかけら14個と無傷のときの写真を送ったところ、下頭頂小葉という視覚的・空間的な思考をつかさどる部分が通常より15%大きいことがわかったという。
ハーヴィーは2007年に亡くなっているが、その前に残った脳をプリンストン病院の病理医に渡し、今もそこでホルマリン漬けになっているそうだ。
死後に家族の許可なく彼の体から取り出され、40年間研究に使われたそうです。アインシュタインの脳は分割されて研究者たちに分けられたため、すでに全体は残っていない
http://gigazine.net/news/20080930_preserve_famous_body/
1999年12月17日
メッタメタなジャパグリッシュを駆使して熱意だけでアインシュタインの脳を探しまくる映画(ドキュメンタリー)が販売された。
http://www.jtnews.jp/cgi-bin_o/review.cgi?TITLE_NO=10195&
http://www.amazon.co.jp/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%84%B3%E3%80%90%E5%AD%97%E5%B9%95%E7%89%88%E3%80%91-VHS-%E6%9D%89%E5%85%83%E8%B3%A2%E6%B2%BB/dp/B00005FVKJ/ref=sr_1_1?s=dvd&ie=UTF8&qid=1436018364&sr=1-1&keywords=%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%81%AE%E8%84%B3