FBIは今もなお捜査継続中の「ハイジャック犯D.Bクーパー」が空中に消えた日

2013/12/05

アメリカ ハイジャック事件 完全犯罪 身代金 世界の謎 未解決

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11月24日
1971年11月24日、アメリカ合衆国で発生した身代金20万ドルを要求したハイジャック事件「D.B.クーパー事件」
アメリカ国内においてもっとも有名な未解決事件の一つとされているが、それには理由がある。
犯人は世にも大胆な方法で脱出し、「完全犯罪」としても有名なのである。




■ハイジャック事件が発生




1971年11月24日。ノースウエスト航空11便(機体はボーイング727-100型:写真)は、アメリカ・ワシントンD.C.を離陸し、オレゴン州ポートランド空港を経由して、16時35分に最終目的地であるシアトルへと飛び立った。シアトルまでは約1時間の予定である。

離陸して間もなく、ポートランド空港で乗り込んだ一人の男性客が、機内サービスに訪れた客室乗務員の女性にバーボンを注文し、代金と一緒に一枚のメモを渡した。
「爆弾を持っている、すぐ見て欲しい。」

まさか本当のはずがないと思い受け取ったメモを見ると、爆弾を持っていること、乗客の身代金として20万ドルを要求すること、パラシュートを4つ用意すること、などが書かれていた。
彼女はすぐに操縦室にこのことを伝えた。操縦室も半信半疑だったが、機長が実際に確かめに行くことになった。

客室に来た機長は男の隣の席に座り、他の乗客に聞こえないよう配慮しながらたずねてみると、
男は自分のアタッシュケースを開けてみせた。中には赤い管と導火線のついたダイナマイトが見えた。


■身代金を要求~紳士的なハイジャック犯



機長は再び操縦室に戻るとすぐに、ハイジャックされたことを管制塔に伝えた。この機には乗員が6人・乗客36人が乗っていたが、乗員たちは、乗客に悟られないよう、静かに行動した。
管制塔からは「犯人に従うように。」という指示が出された。

乗客名簿によれば、男の名前は「ダン・クーパー」となっていた。しかし偽名であることはほぼ間違いない。
シアトル・タコマ国際空港へ予定通り着陸すると、間もなくクーパーの要求した現金20万ドルとパラシュート4つが機内に運び込まれた。

目的の物を確認したクーパーは、乗客全員を降ろしてもよいという指示を与えた。また、乗員も2名開放してやった。機体の外では多数の捜査員が待機しており、場合によっては射殺せよとの命令も出されていた。
この光景や後から聞いた話で、乗客たちは初めてこの飛行機がハイジャックされていたことを知ったという。

■驚くべき脱出方法で完全犯罪に




機内には4人の人質が残っていたが、19時40分、ボーイング727はリノを目指して再び離陸した。離陸するとクーパーは、機長に高度1万フィートを維持するように命令した。
さらに車輪を出し、フラップの角度を15度下げるようにも指示した。このような飛び方をすれば、空気抵抗が増し、飛行の速度は極端に落ちる。

20時ごろ、犯人は乗員に対し、全員操縦室に入るように指示した。そしてそこから絶対出て来るなと言い残して自分は客室に戻った。
その10分後である20時11分ごろ、後部にある非常用ドアが開いた。
次の瞬間、現金を持ってパラシュートを背負ったクーパーがそこから飛び立ったのだ。



ドアを開けた瞬間、機内には暴風が吹き込んできた。機体は大きく揺れ、客室にはすさまじい風の音が響く。操縦室にいた乗員たちも当然異変を感じとったが、ここから出るなと言われている以上、様子を見にいくわけにもいかなかった。

犯人の降り立った地域はポートランドの北・約50kmにあるアリエルの郊外の山の中だと推測された。500人の捜査員を使い、大規模な捜索が18日間に渡って行われたが、犯人の遺体はおろか、手がかりとなるものは何も発見されなかった。

その後、ほとんど指紋を残さないなど、完璧なまでの完全犯罪にD.B.クーパー人気は社会現象になり、事件のあった日は「ダン・クーパー・デイ」として記念日的扱いを受けたという。
(写真:機内に残された安物のネクタイとタバコ)

■8年後、紙幣の一部が発見される


事件から8年以上経った1980年2月、ワシントン州を流れるコロンビア川流域で、290枚の20ドル紙幣が発見された。

この地にキャンプに来た家族が偶然発見したもので、290枚の紙幣は束のまま地面に埋まっていたという。紙幣のナンバーを調べてみると、クーパーに奪われた紙幣であることが判明した。

いつ頃から、この地に埋まっていたのかを考古学者に依頼して地質調査などをしてもらった結果、この紙幣は、クーパーの事件のあった1971年に埋められたものではなく、それから3年ほど経った1974年以降に埋められたものであることが分かった。

■ダン・クーパーは元軍人でもあるリチャード・マッコイだった?


その後、1972年に同様の事件を起こし、逮捕されていた元軍人の男性リチャード・マッコイ (写真)が犯人ではないか?」という説が流れた。
マッコイは、同じように身代金を奪取してパラシュートで降下したが、逮捕されて懲役45年を宣告され、後に脱獄し潜伏先で捜査官に射殺された。


マッコイは軍人時代にはグリーンベレーに所属し、ベトナム戦線を戦った軍人である。彼の担当は爆発物の処理だった。その上、ベトナムから帰還後には、スカイダイビングのインストラクターをやっていたという。
彼が妻に「自分がDBクーパーだ」と言ったとも言われているが、いまだ真相は謎のままだ。

■FBIは今も捜査を継続中




今にいたるもマッコイ犯人説が濃厚だが、しかし当時犯人と接触した乗務員2名が、マッコイとクーパーは別人だと言う証言を残している。FBIはそれを根拠に捜査を継続していたようだ。
(写真:DBクーパーが使ったと思われるパラシュートとそれを入れていたバッグ)

そして、2011年になって「約10年前に老衰で死亡した男性がクーパーである」という情報を、FBIの捜査官が得たと報じた。当時クーパーは指紋を残していないと思われていたが、機内にクーパーのものと思われるネクタイを残しており、そのネクタイピンからわずかな指紋が検出されたという。

この残された指紋と老衰で死亡した男性の指紋、残留物に残されたDNAの鑑定が行われているとの報道があった。もし同一人物であれば逮捕されないまま逃げ延び、自然死を迎えたことになるが、その後、そういった報道を聞かない。


はたして真相は?

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