史上最強の霊媒師・19世紀の「伝説の霊媒」D.D.ホーム~生涯一度もニセモノという証拠をつかまれなかった?男の正体とは

2014/03/28

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8月8日
生前、1500回にも及ぶ降霊会で一度もトリックを暴かれなかった?19世紀最高の霊媒がいた。
その男の名前はダニエル・ダングラス・ホーム(D.D.ヒュームとも:写真)。

彼が行う霊媒は、当時数多にいたほかの霊媒の誰よりも「本物」だった。
身長が30センチ近くも伸びる、真っ赤に燃える石炭で顔を洗う、テーブルやソファなどの重い家具を触れずに動かす、触れずに楽器を演奏する・・・そして1852年8月8日、とうとう大勢の見守る中、空中浮揚まで行ったのだ。

果たして彼の行った数々の現象は、本物だったのか?




19世紀の心霊主義とは

(交霊会において物体が浮遊している写真)
19世紀半ば、フォックス姉妹によるハイズビル事件(関連記事コチラ)が契機となって、ヨーロッパ・アメリカを中心に「心霊主義」が台頭していった。
心霊主義とは「人は肉体と霊魂からなり、肉体が消滅しても霊魂は存在し続けるという考え」のことだそのため多くの霊媒が現われ、家庭婦人や労働者、学者や貴族、聖職者まで、あらゆる階層の人々を巻き込んで、一大ムーブメントを巻き起こしていた。

(霊が自動手記する道具「プランシェット」)

たとえば、上記のプランシェットは、裏側にふたつの小さな脚輪(キャスター)をつけたハートの形の木の板に、ペンなどの筆記具が備えられている。この上に手を乗せると自然に動いて、霊などからのメッセージが書きだされるとされている。このような道具がカタログ販売の商品として売りだされるほどのブームだったのだ。


また、ウィジャ盤(写真:こっくりさんのようなもの)によって霊と交信したり、有名な霊媒を招いて、様々な町で夜な夜な降霊会が催され、人々は霊界との通信に夢中になっていたという。ウィジャ盤によって霊が小説を書いた事件はコチラ

さらに、シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルや著名な科学者たちがこぞって、有名霊媒を実験して検証したりして、そのトリックを暴いたりすることが多くおこなわれていた。

そんな中、突如現れたD.D.ホームは、その圧倒的な霊媒能力によって一躍有名となる。

19世紀最高の霊媒「D.D.ホーム」とは


D.D.ホームは、スコットランド、エディンバラ生まれで、母親が霊視能力に恵まれた家系出身だったといわれている。そのため、13歳の時にはすでに死亡した友人の霊を見、17歳の時、母の死をやはり霊視で知ったとされている。

ホームは肺結核を患っていたため子供のころから病弱で、子供のいない叔母に育てられ、17歳になってアメリカに渡った。
この頃から不思議な現象が起こり始めたという。部屋のあちこちからラップ音が聞こえ、家財道具が右へ左へと飛び交う。典型的なポルターガイスト現象がたびたび起こった。ちょうどそれは実の母が亡くなったころと一致しており、これを気味悪がった叔母に家を追い出されてしまう。
こうして、行き場のなくなったホームは交霊会に現れ、そこで鮮烈なデビューを飾ることになる。

(フォックス姉妹:関連記事

奇しくも、ちょうどこのころ、フォックス姉妹による「ハイズビル事件」が起こり、心霊主義が世間を大きく騒がせていた。

そんな中、D.D.ホームが突然交霊会に現れ、ポルターガイスト現象を起こした。
そのポルターガイスト現象は、それまでのどの霊媒よりも圧倒的な霊媒能力を示していた。

雷鳴に近いラップ音が部屋中にとどろき、1人の力では到底動かせないようなテーブルが人々を押しのけて縦横無尽に動き出す。
ラッパと鈴が調子はずれに鳴りながら、部屋のあちこちを飛び回り、グランドピアノは踊り出して、やがて楽器たちは合奏を始める。
これらの桁違いの現象に、人々は驚愕したという。また、ハーバード大学含む複数の学者の調査によって現象の真実性が証明されたため、より一層ホームの名前は有名になっていった。

D.D.ホームの交霊会~空中浮揚


1852年8月8日の交霊会で、ホームの名声は絶対的なものになった。
ホームはこの日、その後の彼の代名詞ともなる「空中浮揚」を行ったとされる。

その日の降霊会に参加していた『ハートフォード』紙のF・I・バーは下記のように記している。

「まったく予想だにしていない事が起こった。ホームが不意に空中へ舞い上がったのだ。私は驚きのあまり握っていた彼の手を反してしまった。すると、空中に浮かんだ彼の足が私の手に触れた。
見上げると、彼は歓喜と恐れのの入り交じった複雑な表情を浮かべ自分ながら驚いているというふうだった。1回、2回と彼の体は床から離れ、3回目には天井まで昇った。」

(ホームの空中浮揚の様子)

ホームはこの後、100回以上も空中浮揚を披露したという。
回を重ねるごとにその空中浮遊はより高度なものとなっていき、空中を歩き、水平に飛行し、宙に浮いた証拠として天井に×印を残したという。

最も有名なホームの浮揚現象は、1868年、ロンドンのアシュレイ・ハウスで発生している。3人の紳士の立会いのもとでホームは空中浮揚をし、3階の部屋の窓から外へ出て、空中を歩き別の窓から部屋に戻ってきたという。(ただしこの件に関しては、3人の証言が一致していないともされている。)

霊媒界のオールマイティ「D.D.ホーム」


空中浮揚以外にも、ホームは様々な物理的な現象を行った。
当時の交霊会といえば部屋を暗くして薄明かりの中で行うのが慣例であったが、ホームは「トリックを行う余地が生まれる」として、わざわざ部屋を明るくして行ったという。

まずは、燃える石炭を素手で扱う。
観客から借りたハンカチに灼熱の石炭を入れて相手に渡す。だがハンカチにも皮膚にも焼け焦げの痕跡は一切残らない。時には燃え上がる炎を自らの頭部にさらす。だがやはり髪や皮膚に影響がない。
さらに、浮揚時にホームの体に触れた研究家は波打つような感覚を手に受け、見ればホームの体が30センチ近く伸びていたという。


ポルターガイスト現象はもとより、そのほかには、ほとんど手を触れずして行われるアコーディオン、トランペット、あるいはピアノによる演奏。(曲はHome Sweet Homeが得意だった。)

また、手首から指先までだけの物体が部屋中を這い回り、ときには参加者と握手さえしたという。
さらに交霊会では光や火球が飛び、部屋が地震のように激しく振動したり、霊の全身が物質化して出席者に見られたり、知らない言語を喋り、霊の姿を見て会話することができたと言われている。

果たしてホームの能力は本物だったのか?





このように、多数の人々の前で圧倒的に派手なパフォーマンスを見せるホームは、霊媒界でも群を抜く人気を得ることになった。
また、ホームの人柄も、人気の秘密だったといわれている。

ホームは、背が高く、紳士然とした穏やかな物腰で、華奢とも言えるスリムな体型に、気の配られた清潔な服を常に身に着けていたという。

彼は生前、ナポレオン三世(チュイルリー宮殿で開かれた交霊会ではテーブルの上に手が現われ、ナポレオン一世のサインをしたという)、バヴァリア王、プロシア皇帝、ナポリ王、オランダ女王らに招かれ、社交界の花形となっていた。



さらに、1858年にはロシア貴族の娘アレクサンドリーナと結婚し、式には、トルストイ、アレクサンドル・テュマらも出席したという。

さらに、シャーロック・ホームズの生みの親であるコナン・ドイルも、貧しくとも、いかなるときも友人を大事にする人物だった、と回想している。

(ホームの腕の石膏像)

ホームは、性格は穏やかで紳士的、禁欲的だったと言われている。経済的に逼迫したときにも、心霊現象を見世物にしたり、相談に乗って直接金儲けをしたことは一度もなかった。彼は交霊会の金銭的報酬を一切受け取らなかったといわれている。
能力を見せた見返りに、参加者から食物や日用品を受け取ることはあったが、ほとんどは無償で能力を見せていた。王室からも様々な贈り物が贈られたが、友好の証以外の金品は一切うけとらなかったという。
さらに、機会があれば一般人にも現象を無料で見せていたという。

実は、「生涯一度もトリックを見抜かれなかった男」とされていはいるが、実際には、1860年にフランスでトリックを暴かれており、このときは国外退去を命じられている。


彼の能力に関しては、その後、懐疑的な見方もされてきたが、その目撃・体験者の数の多さと身分の多様さにおいて、まさしくスピリチュアリズムを世界的に広めた天才であったといえる。

そしてホーム自身は、自分の能力についてこう語っている。

「私はこのような力に恵まれています。
ですから皆さんが気軽に訪ねて来てくだされば、私は喜んで、精一杯それをお見せいたしましょう。そして、そのことをもっとよく理解していただければ嬉しく思います。
それが正当な実験でしたら、私はどんな実験にも応じます。しかし、私にはその力を支配することはできません。その力が私を利用するので、私がその力を利用するワケではないのです。
それは何ヶ月もの間、私から離れ倍加された力になって戻ってくるのです。私は、それを受け入れる器にしか過ぎません。ただ、それだけなのです。」

果たして真相は?


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