1938年のこの日、アメリカのCBSネットワークにおいて「マーキュリー劇場」という番組が放送された。
それは臨時ニュースとして放送され、最初にアナウンサーが天気予報で原因不明の気象条件を伝えるところから始まったという。
その原因不明の気象条件とは、謎の物体がニュージャージー州で落下したというものだった。
次第に放送は緊迫さを増し、人々はラジオの前で凍りつくことになる。
突然始まった謎の臨時ニュースは、その内容のあまりのリアルさに、突如として全米をパニックに陥れた。果たして、「宇宙戦争事件」の真相とは?
ヒトラーによるオーストラリア侵略など、ラジオから流れるニュースは暗いものばかり。
人々は娯楽を求めてバラエティ番組にダイヤルを合わせたという。
当時人気があったのは聴取率40%を誇った「「エドガー・バーゲン・ショー」という番組。
それは、当時アメリカ国民の3人に1人以上が聴取していた国民的人気番組だったという。
しかし、1938年10月30日の放送では、大人気だったコメディ部分の放送が終わり、次にまったく人気のなかった歌手が歌い出したため、アメリカ国民の多くはラジオのチャンネルを変えた。
そして、その実況放送が突然、聞こえてきたのである。
「プリンストンから緊急ニュースです!
ただいまニュージャージー州トレントンからあった発表によりますと、今日午後8時50分に、隕石と思われる巨大な炎に包まれた物体がトレントンから20マイルのグローバーズ・ミル付近の農場に落下しました!」
偶然が産んだパニック
それは、「マーキュリー劇場」というラジオ番組で、当時まだ無名だった23歳の新人俳優であったオーソン・ウェルズが“宇宙戦争”の火星人襲来シーンをラジオニュース仕立てに演出し、臨時ニュースとして放送したものだった。
最初にアナウンサーが天気予報で原因不明の気象条件を伝えるところから始まり、その後、中継でホテルにて開催されているオーケストラの音楽放送を流し、その途中で臨時ニュースを読み上げるという手の込みようだった。
聴取率の低迷していた「マーキュリー劇場(前週は3%台)」だったが、高聴取率を誇る「エドガー・バーゲン・ショー」で人気のない歌手が登場し、「バーゲン・ショー」の約15%の人がチャンネルを「マーキュリー劇場」に切り替えたところ、何と「隕石が落ちてきたという緊急ニュース」を報じていたのだ。
オーソン・ウェルズ(写真)のドラマは、さらに盛り上がり、「アメリカのニュージャージー州グローヴァーズ・ミル(Grovers Mill=現在のウエスト・ウインザー)では6人の州兵を含む40人が火星人の侵略によって、死体は焼けただれ、変形している・・・」と報じた。
ドラマであることを知らされていないラジオのリスナーは、パニックに陥り信じられない行動をとる。
(実際には、侵略がフィクションである旨を告げる「お断り」が何度もあったと言われるが、そのうちの1度は放送開始直後、残り2度は終了間際であったため、その間、聴取者側から見れば、混乱と恐怖のための時間が充分残っていたという。)
火星人襲来?
「物体の底の部分が開き始めました。」
「たった今、物体の端がはずれようとしています。頂上部がまるでネジのように回転し始めました。」
レポーター役のフランク・リディックの実況は真に迫っていた。
彼は前年に起こったヒンデンブルク号の事故を泣きながら実況したハーブ・モリソンを真似て、それを中継し、その恐ろしさを『宇宙戦争』で再現していた。
「大変です。みなさん、大変です。内部から何かが、何かが出てきました。怪物です。何かを持っています。拳銃のようなものです。光線のような物が出ています。近づいた人に当たり、炎があがりました」
「悲鳴です。炎が・・・車に燃え広がりました!!」
番組の冒頭から聴いていなかったラジオの聴視者は火星人が侵略してきたと本気で信じてしまった。その数は120から130万人と言われている。
パニックに陥ったアメリカ
実際に謎の物体が落下したと放送されたグローヴァーズ・ミルズでは、猟銃を持った市民たちが火星人から町を守るためにグループが結成され、火星人と間違えられた風車が発砲されてしまうという事件が起こる。
さらに、聴視者からは「世界の終わりか?」といった問い合わせが殺到し、異変に気づいたラジオ局は何度も「これはドラマです」という注意を促したが、聴視者の多くはラジオ局の否定をも無視して家から飛び出し、車に飛び乗り逃げ始めた。
抗議の電話でCBSの電話回線が落ちたことも、さらにそれを煽る結果となってしまった。
また、同時期のヨーロッパでは、ナチス・ドイツと欧米列強が緊張関係にあり、アメリカ国民の間でもヨーロッパで戦争が勃発して自国も巻き込まれるかもしれないという懸念が膨らみつつあった。
このため、火星人による襲撃をドイツ軍による攻撃と勘違いした住民も多かったという。
数百台の車が路上を埋め尽くしたというこの集団パニックは、翌日の午後まで続いたが、一人の死者も出なかったという。
終わらなかった騒動
この悪名高き放送により、オーソン・ウェルズは一夜にして有名人になったが、放送後、新聞社を黒幕として非常に多くの訴訟がオーソン・ウェルズを含む製作者に対して行われた。
(すべて棄却または無罪となっている。)
さらに、パニックはここでは終わらなかった。
翌1939年に南米エクアドルで同様の「火星人襲来」ドラマのまねをしたラジオ局が、怒り狂った市民に火を放たれ、出演者6名を含む21人もの死者を生む大惨事を起こしたという。
これは情報で煽動されることの怖さを知らされる、メディアの事件となった。
はたしてパニックは本当に起こったのか?
実は、このアメリカでのパニックについては、疑いも持たれている。
全国の警察に膨大な量の問い合わせの電話があったことは事実であるが、それ以上の行動が起こったという証拠はほとんどないとされているのだ。
当時新興メディアであったラジオに対して警戒心をあらわにしていた新聞がことさらにバッシングを行ったことが都市伝説化したものだとする説も有力である。
番組の最後に、オーソン・ウェルズはこう告げたという。
「これは、大人のためのハロウィンです。
今夜の教訓をお忘れなきよう。それではみなさん、おやすみなさい」
参照元:宇宙戦争事件