テンプル騎士団とは何者だったのか?!海賊旗、コロンブス、フリーメイソン、メディチ家との関わりと真相とは??

2016/07/09

t f B! P L
1314年3月18日
中世ヨーロッパで活躍した騎士修道会。テンプル騎士団、そしてその第23代目テンプル騎士団総長にして、最後の総長であった人物が処刑された日。
そのテンプル騎士団は巨万の富を築き悪魔を崇拝し、聖杯を見つけ隠したという説や、フリーメイソンと深い関係にあるという説、またドクロの海賊旗の原点になった話やコロンブス、メディチ家との関係は一体?!

建築技術は当時の科学技術をはるかに超えたものだった?!

1119年頃、フランスのシャンパーニュ伯領出身の騎士であったユーグ・ド・パイヤンと彼の親戚であるゴドフレー・ド・サンオメール、彼の従者、親類、アンドレ・ド・モンバール等による九人のフランス人騎士たちが、巡礼者の警護を目的とした修道会を結成するために集まった組織で正式名称は『キリストとソロモンの神殿の貧しい騎士達』。テンプル騎士団は名前をエルサレムのソロモン王によって立てられた寺院にちなんで「militia templi(テンプルの戦士)」とした。

表だった彼らの働きは『巡礼者の警護』だが、彼らの秘密の目的は預言者エゼキルの設計したソロモン宮殿の再建築であった。そのエリアを調査し、ある遺物や写本を手に入れ、ユダヤ教や古代エジプトの秘儀を手に入れることで発見から得た知識は、騎士団の中で口頭で伝承され、その後のヨーロッパのゴシック形式の大聖堂などで大いに役立たせた。テンプル騎士団の建築技術はとても進んでおり、特に高くそびえる屋根とアーチに感銘を受けた。高くそびえる屋根とアーチが、12世紀のシャルトルの大聖堂やほかの大聖堂で見られるゴシック様式の建築物と異なる特徴であり、当時の科学技術をはるかに超えたものだったらしい。


▲第1回十字軍のエルサレム攻撃


聖杯を見つけたのはテンプル騎士団だったのか?!


テンプル騎士団は、銀行的役割、フランスの国庫の管理、税金の取り立て、寄付や寄与、そしてテンプル騎士団は税金が免除されているという事により莫大な富を得ていた。

そんな財政的にも十分なテンプル騎士団であったが、お金とは別に教会に大きな影響力を持っている秘密があったらしい。それは騎士たちがエルサレムで何か重要な意味のある物を見つけたからではないかということだった。騎士団が「聖杯」や、モーゼの十戒を刻んだ石板が納められている「契約の箱(アーク)」を発見したという噂があった。

テンプル騎士団は現在のフリーメイソンの前身だった?!


テンプル騎士団から多額の借金をしていたフランス国王のフィリップ4世は、テンプル騎士団を弾圧する。多くの犠牲を出したテンプル騎士団は海賊となり海を渡り身を隠した。テンプル騎士団は海賊としてスコットランドに渡り、石工職人として身を隠し、世界を裏で操る時を待っていた。それこそがフリーメイソンの始まりだと言われる。 



また、フリーメイソンのシンボルマークにも、その証が。石工職人としての定規とコンパス。
ここまではわかりやすい。だが、様々な見方があって、1つはコンパスは道徳、定規は真理を表し、Gはジオメトリー、幾何学を表している


  フリーメイソンのシンボルマークは定規とコンパスは石工職人のギルドだったことの名残。 コンパスは道徳、定規は真理を表し、Gはジオメトリー、幾何学を表しているといわれているが、一説によると真の意味は、上向き三角形(コンパス)と下向き三角形(直角定規)の結合はダビデの星を形成し、聖杯(男と女)を表し二つが重なっている真ん中にゴッドが産まれたことを表現しているGのマーク「ゴッド・チャイルド」がある為、フリーメイソンはテンプル騎士団が聖地エルサレムで発見したキリストの子孫を匿っている組織という意味をもっているそうだ。



テンプル騎士団が契約の箱を隠したのか?!

▲エルサレム(ソロモン)神殿

「契約の箱」とも呼ばれるアーク(聖櫃:せいひつ)は、モーセが神から授かった十戒を刻んだ石板を納めた箱。イスラエル王国第三代のソロモン王は、エルサレムに神殿を作り、そこにアークを安置したのだが、その後聖書からアークについての記述がほとんど見られなくなる。その神殿は、後、十字軍国家エルサレムの王、ボードワン2世によって与えられたテンプル騎士団の宿舎となっていたのだ。



テンプル騎士団は悪魔を崇めていた?!


▲フィリップ4世


フランス王フィリップ4世は、テンプル騎士団からのたび重なる負債で、首が回らなくなり、テンプル騎士団を滅ぼそうと考えた。そして1307年10月13日金曜日、「騎士団はバフォメットと呼ばれる魔神を崇拝し、団員の中には公然と黒ミサを行うものがいる」などの罪を着せてテンプル騎士団を逮捕し、宗教裁判にかけた。

▲バフォメット



キリスト教の悪魔の一人黒ミサを司る、山羊の頭を持った悪魔『バフォメット』。この審問により団体としての騎士団が悪魔の崇拝儀礼や異端の教義を認めたり、正統とは異なる教義を持っていたことは証明できず、ポルトガル、スペイン、ドイツ、キプロスといったほとんどの国ではテンプル騎士団は無罪となったのだが、バフォメットとテンプル騎士団には意外な秘密があった。


フィリップ4世が罪を着せたわけではなく、本当に悪魔「バフォメット」を崇拝していた?!


▲Atbash暗号の解読用テーブル


1980年代初め、学者のHugh Schonfieldが、バフォメット(Baphomet)を暗号とする驚きの発表をした。聖書学で使われるAtbash暗号を用いて、バフォメットの謎を解明した。Atbashは、紀元前5世紀までさかのぼる、古代ヘブライ語の符号化技術。バフォメットに当てはめると、新たな言葉が生まれる。「Sophia」ギリシャ語の「英知」。さらにはグノーシス派が信仰していた創世の女神の名で、マグダラのマリアと同一視していたという。






テンプル騎士団と海賊旗


▲海賊旗ジョリー・ロジャー

総長のジャック・ド・モレー以下3000人のテンプル騎士達が1307年10月13日金曜日に逮捕された後、
騎士団は異端として糾弾され、1312年に教皇クレメンス5世の勅令により解散させられた。

その後多くの犠牲を出したテンプル騎士団たちの多くは海賊になったと言われている。
その理由に、処刑された総長ジャック・ド・モレーはテンプル騎士団の団員によって遺体を掘り起こした際、

掘り起こされた頭蓋骨が2本の骨とクロスした状態で埋まっており、「頭蓋骨と2本の骨さえあれば人は復活できる」という意味を込め、ジョリー・ロジャーと呼ばれる海賊旗を作ったと言われている。

ちなみにジャック・ド・モレーの墓の裏側にはしっかりとフリーメイソンを示す石工職人の道具、コンパスと定規が掘られており、海賊、そしてフリーメイソンへテンプル騎士団は変化を遂げた証も残されている。




テンプル騎士団とコロンブス

▲コロンブス船の帆にある赤い十字架


「サンタ マリア号」の帆に描かれた赤い十字架がみてとれる(上絵)。コロンブスのスポンサーはスペイン王室、つまりカトリックなので十字架と考えれば別に不思議はない。ところが単にキリスト今日であるという印ではなかった。この白地に赤の十字架はテンプル騎士団である証(シンボル)なのだ。

コロンブス自身、シンクレア家と婚姻関係でつながっています。コロンブスの嫁の父親は、バーソロミュー・ペレストという人で、テンプル騎士団のグランド・マスターであり船長でもありました。コロンブスの船の帆に赤い十字架が書いてありました。それはまさにテンプル騎士団のマークですね。かぎつきのXの文字は実はコロンブスの手描きの署名にもあるのです。かぎつきXはテンプル騎士団と関係があり、後になってフリーメーソンとなんらかのかかわりがあるかもしれません。というのはフリーメーソンにはシンボルが大切で、かぎつきのXはラルソンペーパーというフリーメーソンの書類にも描かれています。財宝は実は形のあるものではなく、フリーメーソンがアメリカにもたらした聖なる幾何学や、科学、天文学、完全な国家をつくるという思想などの知識が財宝と考えることもできます。


1312年、ローマ教皇はテンプル騎士団を正式に禁止されたが、この禁止令は、フランス以外では徹底されなかった。たとえば、ポルトガルでは、団員は逮捕されず、テンプル騎士団は「キリスト騎士団」と名を変えて存続した。


コロンブスがテンプル騎士団の財宝を隠した?!

1307年の一斉逮捕の時、事前に秘密情報を掴んでいた騎士団は、3台の荷車に金銀財宝を載せて密かに持ち出し、騎士団の船に積み込んだのだという。船団の最終目的地は不明。コロンブスより先にアメリカ大陸に渡り、現在のカナダのノバスコシア州の沖合に浮かぶオーク島に財宝を隠したとする話がある。





























・正式名称は『キリストとエルサレムのソロモン神殿の貧しい戦友たち』。
・聖地への巡礼に向かうキリスト教徒たちを守る目的で1119年ごろに設立された騎士修道会。
・テンプル騎士団の正確な設立時期は不詳とされますが、1119年頃、ユーグ・ド・パイヤンとゴドフレー・ド・サンオメールを始めとする九人のフランス人騎士たちが、巡礼者の警護を目的とした修道会を結成するために集まった組織。
・舞台は文明の衝突と言われた十字軍の時代。1097年、欧州の多くの騎士が、何1000㎞もの旅を経て、聖地を目指した。中東からスペインまでは、イスラム諸国の支配下にあった。教皇UrbanusⅡは、エルサレム(Jerusalem)の解放を求め、聖戦を呼びかけた。十字軍は、3年近く旅を続け、敵や病気、飢餓と戦いながら、ついに聖都へ辿り着いた。出発時4000人だった兵士は、1000人強まで減少。1099年7月、5週間の包囲のあと、十字軍が勝利。エルサレムを占領した十字軍は、まず大量虐殺を行った。キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒と気境なく殺害した。フランス人による目撃録「通りには頭や手足が山積みにされ、ソロモン神殿には、血だらけの男が馬で乗りつけた。神の裁きが下ったのだ。長年冒涜を受け続けた地は、異教徒の血に染まっった。」新たなエルサレムの王は、十字軍から選ばれ、歴代の王は、聖地を守るために戦い続けた。
1118年、第3代国王に、BaldwinⅡが即位。1人の騎士が王に援助を申し出た。彼の名は、Hugues de Payens。
彼が提案したのは、修道騎士団の結成。その使命は、聖地の守護と、欧州から聖地へ向う巡礼者の安全を守ることだった。これがテンプル騎士団の誕生



フリーメイソンとは
・フリーメイソンの起源は選ばれし石工職人の団体。
会員数300万人の世界最古、世界最大の友愛団体。しかし、具体的な活動内容が非公開なため、様々な憶測をよび秘密結社として多くの都市伝説が語られ続けている。



ソロモン王とテンプル騎士団

・十字軍国家エルサレムの王、ボードワン2世によって、騎士たちは市内の「神殿の丘」を拠点とする許可を与えられた。かつて、“ソロモンの栄華”で有名な「ソロモンの神殿(テンプル)」があった場所





テンプル騎士団ゆかりの地

・アルモウロル城。テンプル騎士団ゆかりの城。ポルトガルで最もロマンチックな城と言われるその外観は、まるでおとぎ話に出てくるよう。夢のようなお城。
・トマール。かつてテンプル騎士団の本拠地であったトマール。世界遺産にも登録されている。


テンプル騎士団は悪魔を崇めていた?!

・1307年10月13日金曜日、フランス王フィリップ4世がその財産と金融システムを手中に収めるべく、テンプル騎士団の弾圧を強行した。総長のジャック・ド・モレー以下3000人のテンプル騎士達が、この同じ日に逮捕されたのである。



・フィリップ4世は「騎士団はバフォメットと呼ばれる魔神を崇拝し、団員の中には公然と黒ミサを行うものがいる」「同性愛を嗜好している」などの罪を着せてテンプル騎士団を逮捕し、宗教裁判にかけた。

・この裁判により、騎士団は異端として糾弾され、1312年に教皇クレメンス5世の勅令により解散させられて

・キリスト教の悪魔の一人黒ミサを司る、山羊の頭を持った悪魔『バフォメット』。
1307年にフィリップ4世により偶像崇拝の糾弾を受けた際、このバフォメットの偶像を奉っていたとされている。

・巨万の富に嫉妬を覚えたフランス王フィリップ4世は、テンプル騎士団からのたび重なる負債で、首が回らなくなり、破産の危機に瀕していた傀儡教皇クレメンス5世に強く働きかけて、この騎士団を滅ぼそうと考えた。
そしてクレメンス5世は、「テンプル騎士団が極秘に、十字架につばを吐き、キリストを否定し、男色を認め、悪魔の偶像を崇拝している・・ 」という信じられないような噂を流布し騎士団員5000人を逮捕。その他多数の団員および平信徒を擁していた騎士団は全面的に解散を命ぜられた。
しかし、この審問により団体としての騎士団が悪魔の崇拝儀礼や異端の教義を認めたり、正統とは異なる教義を持っていたことは証明できず、ポルトガル、スペイン、ドイツ、キプロスといったほとんどの国ではテンプル騎士団は無罪となった

・1980年代初め、学者のHugh Schonfieldが、Baphometを暗号とする驚きの発表をした。聖書学で使われるAtbash暗号を用いて、Baphometの謎を解明した。Atbashは、紀元前5世紀までさかのぼる、古代ヘブライ語の符号化技術。Baphometに当てはめると、新たな言葉が生まれる。「Sophia」ギリシャ語の「英知」。異端的な知識でない限り、英知崇拝に問題はない。

ユーグ・ド・パイヤンは彼の従者、親類、アンドレ・ド・モンバールと7人の仲間と共に任務に旅立ち、初期のテンプル騎士団を作りました。1125年にシャンパーニュ伯ユーグ自身がこの新しい修道会に参加しました。 


伝説の375対2万6000の戦いモンジサールの戦い

・この戦闘では、ハンセン病を病んでいた十六歳のエルサレム王ボードゥアン四世がキリスト教軍を率い、アイユーブ朝スルタンのサラディンの大軍に攻撃を仕掛けました。テンプル騎士団の500名ほどの騎士たちが数千名の歩兵を援護し、サラディンの軍勢の26,000名以上の兵士を打ち破りました。


謎多きテンプル騎士団

・当時としては並外れた長寿だった。理由は「ラテン語会則」に法った慣習を団員に厳しく遵守させたから。食事前の手洗いは徹底され、食堂内ではテーブルクロスから細部に至るまで可能な限り清潔に。肉、魚、野菜、果物、ワインなどをバランスよく摂取していた。ワインも適量飲んでいたとされるが、それも消毒・抗菌作用の高いアロエの果肉入りのワインだった。




テンプル騎士団とアーサー王


テンプル騎士団と海賊とフリーメイソンと聖杯

・テンプル騎士団から多額の借金をしていたフランス国王のフィリップ4世がテンプル騎士団を弾圧する。多くの犠牲を出したテンプル騎士団は海賊となり海を渡り身を隠した。
・テンプル騎士団は海賊としてスコットランドに渡り、石工職人として身を隠し、世界を裏で操る時を待っていた。それこそがフリーメイソンの始まりだと言われる。
・海賊とフリーメイソンの繋がりを示すものがジャック・ド・モレーの墓に残されている
・墓の表に海賊を表すドクロとクロスした骨が掘られており、裏側にはフリーメイソンを示す石工職人の道具、コンパスと定規が掘られているのだ
・フリーメイソンのシンボルマークは定規とコンパスは石工職人のギルドだったことの名残。 コンパスは道徳、定規は真理を表し、Gはジオメトリー、幾何学を表しているといわれているが、一説によると真の意味は、上向き三角形(コンパス)と下向き三角形(直角定規)の結合はダビデの星を形成し、聖杯(男と女)を表し二つが重なっている真ん中にゴッドが産まれたことを表現しているGのマーク「ゴッド・チャイルド」がある為、フリーメイソンはテンプル騎士団が聖地エルサレムで発見したキリストの子孫を匿っている組織という意味をもっているそうだ。



テンプル騎士団とコロンブス
【「サンタ マリア号」の帆に描かれた謎の十字】コロンブスのスポンサーはスペイン王室、つまり、ガチガチのカトリックなので、十字架と考えれば、別に不思議はない。ところが、あれはただのキリスト教ではなく、テンプル騎士団を表している。白地に赤の十字架はテンプル騎士団のシンボル。

1312年、ローマ教皇はテンプル騎士団を正式に禁止されたが、この禁止令は、フランス以外では徹底されなかった。たとえば、ポルトガルでは、団員は逮捕されず、テンプル騎士団は「キリスト騎士団」と名を変えて存続した。



テンプル騎士団と海賊旗

・処刑された総長ジャック・ド・モレーはテンプル騎士団の団員によって遺体を掘り起こされる。
その際、掘り起こされた頭蓋骨が2本の骨とクロスした状態で埋まっていたことから「頭蓋骨と2本の骨さえあれば人は復活できる」という意味を込め、ジョリー・ロジャーと呼ばれる海賊旗を作った。


テンプル騎士団の財宝

・テンプル騎士団は地中海の制海権を独占し独自の船舶を保有して中東へ兵員を輸送するばかりか金を取って巡礼者を輸送し、その帰途には香料、没薬、シルクなど中東の物産を積載してヨーロッパ諸国に寄港し中東貿易で莫大な富を得た。また金融では手形割引のほか、ユダヤ人高利貸の金利(年20%)の半分の10%で貸し付けたため巨万の富を得ていた。

・テンプル騎士団が教会に大きな影響力を持っているのは、騎士たちがエルサレムで何か重要な意味のある物を見つけたからではないかと勘ぐる者たちがあった。騎士団が「聖杯」や、モーゼの十戒を刻んだ石板が納められている「契約の箱(アーク)」、あるいはキリストの生涯に新たな解釈を与える秘密文書を発見したという噂があったのだ。どの噂にも一致しているのは、騎士団が何かとてつもない価値のある物を所有しているということだった。

・1307年の一斉逮捕の時、事前に秘密情報を掴んでいた騎士団は、3台の荷車に金銀財宝を載せて密かに持ち出し、騎士団の船に積み込んだのだという。船団の最終目的地は不明だ。スコットランドに向かったという説もあれば、スペインやクロアチアの方が地理的に妥当ではないかという説もある。また、コロンブスより先にアメリカ大陸に渡り、現在のカナダのノバスコシア州の沖合に浮かぶオーク島に財宝を隠したとする話まであった

・逮捕後、解散を命ぜられた後どさくさを利用して、フランス王フィリップ4世はテンプル騎士団の財産や会計帳簿類を押収すると焼却してしまい、莫大な借金を踏み倒してしまった。テンプル騎士団の莫大な財産は、丸ごとフランス国家に没収されてしまったのである。1119年に設立されたテンプル騎士団と同様に徐々に軍事的要素を強めていった聖ヨハネ騎士団.. 1312年にテンプル騎士団の資産が没収されたとき、かなりの部分が聖ヨハネ騎士団に与えられた。

テンプル騎士団が権力を持った理由…それは聖地エルサレムで発見したロンギヌスの槍。そしてその血を受けた聖杯。



テンプル騎士団の解散とメディチ家

・13世紀頃に西ヨーロッパ・イタリア・フィレンツェに突如現われ、絶大な権力と莫大な財産を築き上げたメディチ家は銀行家、政治家、宗教家として台頭。フィレンツェの実質的な支配者として君臨し、後にトスカーナ大公国の君主となった。西洋の医療産業はルーツを辿ればメディチ家に行き当たりますが、そのまたルーツを辿ると、テンプル騎士団なのであります。メディチ家はテンプル騎士団がもたらした毒殺技術を駆使して政敵を駆逐し、また、毒を薄めて病気を治す技術、「メディチの毒」が「メディシン」になったとされています。

参考文献:
http://100onepiece.blog.fc2.com/blog-entry-85.html
http://www.gregorius.jp/presentation/page_79.html
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%90%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%A1%E3%83%83%E3%83%88
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/071300013/071300001/
http://tocana.jp/2016/05/post_9634_entry_2.html
http://weedweedweed.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-75c5.html
http://kuroi69.hatenablog.com/entry/2015/03/05/203639
http://toshidensetsu.blog.jp/archives/758501.html
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http://poyoland.jugem.jp/?eid=305
http://www.y-history.net/appendix/wh0603_1-034_2.html
http://blog.livedoor.jp/archon_x/archives/1275492.html
http://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/web/15/071300013/071300001/

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