“交響曲の父”ハイドンは、ナポレオン占領下のウィーンで1809年5月31日、77歳の生涯を閉じた。
・ハイドンの死後、その首がなくなった!
その死から11年たった1820年、ニコラウス2世は生前ハイドンが自分のエステルハージ家の本拠地に埋葬されるのを望んでいたことを知り、ニコラウス2世はハイドンの遺体を墓から掘り起こした。 ところが、ハイドンの遺体には、首がなくなっていたのだった。
一体、誰が、なぜ、どのようにして、ハイドンの頭部を切り取ったのか?
そして、ハイドンの頭はどこへ行ってしまったのか?
首を盗んだ犯人は?
ハイドンの首のなかったことに驚いたニコラウス2世は、さっそくウィーンの警察に届け出た。
そして間もなく犯人が挙げられる。
それは、オーストリアの刑務所の管理人をしていたヨハン・ネポムーク・ペーターという男だった。
この男は頭蓋骨収集という奇怪な趣味の持ち主で、頭蓋骨の形態と知的才能の間には関係があるという学説を信じて、あらゆる頭蓋骨を測定して回っていた。
ペーターは自分が墓を掘り起こしたことを警察に供述した。
犯行はハイドン埋葬後数時間内に行われした。 脊椎骨を断ち切ろうと力まかせに包丁をふるったので頸椎の断面はギザギザになった。
その後、頭骨は、共犯のローゼンバウムに渡された。
カール・ローゼンバウムはかつてエステルハージ家の書記をつとめた男で、「ハイドンの異常な崇拝者」だった。
この男は「ハイドンの聖なる頭部が、うじ虫に喰われたり、悪人やいんちき哲学者や悪ガキどものおもちゃにされたりしないように、小さな祭壇にしまっておいた」そうだ。
ニセモノの頭蓋骨が現れる
警察はローゼンバウムの家を徹底的に捜索した。 しかし首は見つからなかった。
ローゼンバウムは、風邪で寝ていた妻のベッドの下に隠していたのだ。
ニコラウス2世は、ローゼンバウムと直接取引をし、莫大な金額を払って頭蓋骨を買い取った。
ところが、手元に届いた頭骨を二人の人体学の教授に鑑定させると、これは若い娘の頭だという。ニコラウス2世が抗議すると、今度はちゃんと老人の頭蓋骨が届けらた。
それはハイドンの体と一緒にエステルハージ侯爵家ゆかりのアゼンシュタットのベルク教会に埋葬された。
果たして本物はどこに?
しかし、ローゼンバウムは晩年、「あれはニセモノだ。本物は生きている限り手放さない」と告白した。 彼の死後、ハイドンの頭部はいろいろな人の手に渡り、ようやく1895年になってウィーンの楽友協会の所有となった。
そして1954年、頭蓋骨はようやくアイゼンシュタットに運ばれた。 6月5日にハイドンの2回目の公式な葬儀が行われ、ニセモノの頭が取り除かれると、遂に本物の頭が棺に収められた。(下記画像)