聖霊降臨日の翌日の1828年5月26日、ドイツのニュルンベルクで16歳くらいの少年が発見される。
現在においても未だその正体と背景が不明なままの、謎の少年「カスパー・ハウザー」である。
・発見のいきさつ
聖霊降臨日の翌日の1828円5月26日、ニュルンベルクで16歳くらいの少年が発見される。彼はものをきかれても、ほとんどまともに言葉を話せず、警察に連れてゆかれた。
少年はそこで紙と鉛筆を渡され「カスパー・ハウザー」という名前を書いた。
少年が携えていたある大尉に宛てた間違いだらけの文の手紙には、同じくカスパーというファーストネームが出ていた。宛てられた本人には何ら心当たりがない手紙には、少年の誕生日を1812年4月30日と記しており、この少年の両親は既に死去していると説明し、手に余れば殺して欲しいと書かれていた。
カスパーは当初、肉や牛乳は口にしても吐いてしまい、パンと水だけを採ることができた。
さらに本人は鏡の中の自身を捕らえようとするなど、通常の人間らしさを失っていたという。
そのような者は「生まれながらにして暗い小部屋で外部との交渉を絶たれて生活すること」を余儀なくされていたことが多く、人間らしさを失っていたとある。
突然の暗殺~口封じだったのか?
突如として世を去った。
カスパーの自分について話したことには、人前に姿を見せるようになる以前、何年も地下牢を思わせる暗く小さな場に閉じ込められ、玩具の馬を与えられてそこで育っていたことと僅かなことしか言い残さず終わった。
カスパー自身が保護以来、自らを語りだし出自の断片が見え隠れし出したばかりで、犯人によって口封じされたがのごとく二度に渡り襲われて殺された。
その謎の出自は?
しかし、1996年「シュピーゲル」誌とアンスバッハ市が、遺伝子解析の手助けを借りて、カスパーがはいていたとされるズボンに残る血痕を分析させた。この調査の結果、ズボンをはいていたとされる人物はバーデン大公国の王子ではないと判明し、結局出自が判明することがなかった。
未だにその出自が謎のままである。