世界初の推理小説家であるとも言われるエドガー・アラン・ポーは1849年10月3日に意識不明の状態で発見され、7日の早朝5時に病院で息を引き取った。
ちなみにポーがボルティモアに到着したのは9月29日のことで、意識不明で発見されるまでの5日間の足取りはいまだに謎のままである。
なぜ他人の服をきて泥酔状態で発見されたのか?
1849年の9月、翌月に結婚式を控えたポーは、自身の選集出版準備のためニューヨークに向かった。
9月27日にリッチモンドを発ち、まる二日がかりの船旅の後にボルティモアへ到着すると、何故かそこに数日間滞在し、そこからぱったりと足取りが途切れた。
次に彼が発見された10月3日は、おりしもメリーランド州議会選挙の投票日となっており,
ポーは投票所の一つとなっていた酒場で、異常な泥酔状態となって倒れていたのを発見された。
たまたま旧知の文学者に発見されて、そのまま病院へ担ぎ込まれ、4日間の危篤状態が続いた後、10月7日早朝に息を引き取った。
発見された日からポーは理路整然とした会話ができる状態でなく、なぜそのような場所で、そのような状態に陥っていたのかは誰にもわからないままとなった。その上奇妙なことに、ポーは発見されたとき他人の服を着せられており、また死の前夜には「レイノルズ」という名を繰り返し呼んでいたが、それが誰を指しているのかも分からなかった。
9月27日にリッチモンドを発ち、まる二日がかりの船旅の後にボルティモアへ到着すると、何故かそこに数日間滞在し、そこからぱったりと足取りが途切れた。
次に彼が発見された10月3日は、おりしもメリーランド州議会選挙の投票日となっており,
ポーは投票所の一つとなっていた酒場で、異常な泥酔状態となって倒れていたのを発見された。
たまたま旧知の文学者に発見されて、そのまま病院へ担ぎ込まれ、4日間の危篤状態が続いた後、10月7日早朝に息を引き取った。
発見された日からポーは理路整然とした会話ができる状態でなく、なぜそのような場所で、そのような状態に陥っていたのかは誰にもわからないままとなった。その上奇妙なことに、ポーは発見されたとき他人の服を着せられており、また死の前夜には「レイノルズ」という名を繰り返し呼んでいたが、それが誰を指しているのかも分からなかった。
エドガー・アラン・ポーの生い立ち
エドガー・アラン・ポーは、1809年にアメリカのボストンで生まれた小説家・詩人である。
『黒猫』『モルグ街の殺人』『盗まれた手紙』などの著作を次々と発表し、世界初の推理作家とも言われている。江戸川乱歩、スティーブン・キング、ティム・バートンら後世の芸術家たちに大きな影響を与えた。
両親は共にスコットランド系のアイルランド人。劇団の俳優同士で結婚し、巡業で忙しい両親は幼い兄弟を育てることができず、彼らはボルティモアにあった父の実家に預けられていた。
ところがポー1歳の時に、父のデイヴィッドは巡業先で失踪。
途方にくれた母エリザベスは、ポーだけを自分のもとへ引き取ったが、極貧の生活の中、母は結核を患い、ポー2歳の時に帰らぬ人となった。
ポーは両親と親交のあった家族に引き取られ、その後も破天荒な人生を送ることになる。
初恋の人との結婚はかなわず、学費が払えずに大学を中退せずにいられなくなり、
士官学校へ入隊したが、その後、文筆業に専念することをきめ、懸賞小説で賞を受賞してから雑誌の編集長に就任したことからようやく生活も上向き、わずか13歳だった従姉妹との結婚を決める。
ところがポー1歳の時に、父のデイヴィッドは巡業先で失踪。
途方にくれた母エリザベスは、ポーだけを自分のもとへ引き取ったが、極貧の生活の中、母は結核を患い、ポー2歳の時に帰らぬ人となった。
ポーは両親と親交のあった家族に引き取られ、その後も破天荒な人生を送ることになる。
初恋の人との結婚はかなわず、学費が払えずに大学を中退せずにいられなくなり、
士官学校へ入隊したが、その後、文筆業に専念することをきめ、懸賞小説で賞を受賞してから雑誌の編集長に就任したことからようやく生活も上向き、わずか13歳だった従姉妹との結婚を決める。
初恋の人との再婚の1ヶ月前の死
再就職した「メッセンジャー」誌は、ポーが主筆編集者となったことでみるみる業績が上がり、南部を代表する文芸誌に成長したが、オーナーと意見対立により退社。
新たに創刊された雑誌の編集長に迎えられると、『モルグ街の殺人』のほか多数の作品を発表。わずか一年半たらずのうちに同誌は発行部数3万7千部を誇る米国最大の雑誌へと成長した。
しかし、そのころ妻が結核によって死去。
妻を亡くした後のポーは、“生活破綻者”となる。
パーティで出合った複数の夫人たちに再三の求婚をするが、アルコールを飲むと人が変わる彼の性格もあって、全て破談となる。
そんななか、結婚がかなわなかった初恋の人・サラ・エルマイラ・ロイスター(写真)と再会。
その初恋の人との結婚を控えた1ヶ月前に、謎の死をとげることになる。
「解かれることを望まない秘密だってあるさ。」
死亡証明書を含め、ポーの診断書は現在ではすべて紛失されておりボルティモアで謎の死を遂げたエドガー・アラン・ポーの死の真相は、今も明らかになっていない。
そんな中、広く知られている説がある。
当時の選挙で立候補者に雇われたならず者が、旅行者や浮浪者に無理やり酒を飲ませて投票所に連れて行き、場合によっては数度投票させる=“クーピング(cooping)”という不正がまかり通っており、ポーもその犠牲になったのだという説だ。
当時は有権者の身元確認がしっかりと行なわれていなかった。
ポーの最後の言葉は「主よ、私の哀れな魂を救いたまえ」("Lord help my poor soul")であったといわれている。
果たして真相は?