1912年のこの日、世界一有名な豪華客船「タイタニック号」とともに、
世界で1つしかない美しい本が、海の藻屑と消えた。
その本の名前は、「サンゴルスキー版ルバイヤート」。
まばゆい宝石に彩られ、贅の限りを尽くした美しい装丁は、世界最高の価値を誇っていたと言われている。
今なお海の底で眠るこの本は、のちに「呪いの本」と呼ばれるようになった。
なぜこの本が呪いの本と呼ばれるようになったのか。
はたして真相は?
四行詩集「ルバイヤート」~ペルシアのレオナルド・ダ・ヴィンチ
▲「ルバイヤート」作者ウマル・ハイヤーム
稀代の天才だったウマル・ハイヤームは天文学から医学、数学、哲学、歴史学そして詩にいたるまで、万能の人と言われ、ペルシアのレオナルド・ダ・ヴィンチと称されるほどの人物だった。
「ルバイヤート」はウマルの死後公表されたが、それまで彼は詩人としてはほとんど知られていなかったと言われる。
愛しい友よ、いつかまた相会うことがあってくれ、
酌み交わす酒にはおれを偲んでくれ。
おれのいた座にもし盃がめぐって来たら、
地に傾けてその酒をおれに注いでくれ。 ~「ルバイヤート」
酒をたたえ、現世の快楽を詠んだ無神論的な作品であり、長く歴史の19世紀末のヨーロッパで流行することとなる。
19世紀、エドワード・フィッツジェラルドによる英語訳で一躍名が知れるようになった。その英訳版は近代イギリス文学に大きな影響を与えた。
よい人と一生安らかにいたとて、
一生この世の栄耀をつくしたとて、
所詮は旅出する身の上だもの、
すべて一場の夢さ、一生に何を見たとて。
フィツジェラルドが1859年にその翻訳を自費出版で250部だけ印刷した当時は、いっこうに人気がなかった。
いくら値を下げても買手がつかないので、ついには一冊一ペニイの安値で古本屋の見切り本の箱の中にならべられる運命となった。
それから三年ばかり後のこと、ラファエル前派の詩人ロセッティの二人の友人が、散歩の途中で偶然、埃ほこりに埋もれたこの珍しい本を発見して、彼にその話をした。
▲ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ「プロセルピナ」
ロセッティはその店に出かけ、ちょっとその本を覗いただけで直ちにその価値を認め、数冊ずつ買って帰った。次にロセッティがその店を訪れた時には、値段がはねあがっていたという。
このように数奇な運命をたどったフィツジェラルドの翻訳は、ラファエル前派の詩人たちから、ようやく識者の注目をひくにいたった。
このように数奇な運命をたどったフィツジェラルドの翻訳は、ラファエル前派の詩人たちから、ようやく識者の注目をひくにいたった。
19世紀末から20世紀の初めにかけてオマル・ハイヤーム熱は一種の流行となって英米を風靡し、ロンドンやアメリカには『オマル・ハイヤーム・クラブ』が設立され、またパリでは彼の名が、酒場の看板にまで用いられるほどであったという。
世界一豪華な「サンゴルスキー版ルバイヤート」とは
▲サンゴルスキー&サトクリフ社のフランシス・サンゴルスキー
それが「サンゴルスキー版ルバイヤート」だ。
▲復元された「ルバイヤート」
表紙や裏表紙、そしてカシの木で作られたケースに1500種類もの色とりどりの革が張られペルシア風の意匠を形作り、表紙には金泊で飾られた3匹のクジャクがきらびやかな尾を広げ、裏表紙には金泊を使って民族楽器の図柄が施された。
さらに本全体をルビー、ガーネット、アメジスト、トパーズ、トルコ石など1051個の宝石、象牙、マホガニー、銀などで飾り、
花の模様ひとつひとつ、葡萄の房ひとつひとつに宝石が埋め込まれ、彼は、この装丁に2年の歳月を費やしたといわれている。
製本された「ルバイヤート」は「製本の歴史上、最も大胆な作品」と評され、ウマル・ハイヤームにちなんで「偉大なるウマル(Great Omar)」「孔雀のルバイヤート」などと呼ばれた。
「サンゴルスキー版ルバイヤート」とタイタニック
▲タイタニック号
この美しい「偉大なるウマル(Great Omar)」を、サンゴルスキーは当時経済成長著しい、アメリカに売ろうと考えていた。
紆余曲折を経て、サザビーズのオークションに出品されたが、運悪く「サンゴルスキー版ルバイヤート」が出品された当日、炭鉱ストライキにあたってしまった。
当時、石炭はイギリスの工業を支える存在であったため、このストライキがオークションの結果を直撃してしまった。
あまりにも安値での落札に、多くのイギリス人たちも異議を唱えるほどだったという。
しかし、新しい持ち主のいるニューヨークにこの本は船によって運ばれることになる。
その船の名こそ、「RMSタイタニック」。
当時世界最大の豪華客船であり、世界最悪の海難事故を引き起こしたあの
タイタニック号だった。
タイタニック号は、処女航海中の1912年4月14日深夜、北大西洋上で氷山に接触、翌日未明にかけて沈没した。犠牲者数は乗員乗客合わせて1,513人ほど。
彼らとともに、この「偉大なるウマル(Great Omar)」は北大西洋の深海4000m近くにい今も眠り続けている。