1936年のこの日、世界でもいわくつきの物件の一つとされるイギリス・ノーフォークにある「レイナムホール」(写真下)で、世界一有名な心霊写真が撮影された。
2万エーカーもの敷地内に佇む、築300年を超える重厚な屋敷で撮影されたその心霊写真は、のちに「褐色の貴婦人(Brown Lady)」という名前がつけられ、その幽霊とされる女性の正体まで判明しているという。
「褐色の貴婦人」の正体とは?一体、レイナムホールで、何か起きたのか?
また、本当にそれは”心霊写真”だったのか?
世界一有名な心霊写真が撮られた日
▲心霊写真が撮られた階段
1936年9月19日、カントリーライフ誌の撮影のためにカメラマン・ヒューバート・C・プロヴァンドと助手が「レイナムホール」に訪れた。
実はその100年前も前から、レイナムホールでは女性の幽霊が目撃されていたという。
その日、彼らはホールのメイン階段の写真を撮影して、2階に上がるために階段を登ろうとしていた。すると、階段の上から「不思議な形をしたものが、次第に女性の形になっていきながら」降りてくるのに助手が気づいた。
助手のディレクションによって、プロヴァンドは慌ててカメラを向け、フラッシュをたいたという。
帰ってから、ネガを見てみると、そこには「茶色の服を来た貴婦人」の姿がはっきりと見て取れた。その写真の幽霊は「Brown Lady(褐色の貴婦人)」(写真下)という名が付けられたという。
彼らの幽霊目撃談は、1936年の12月26日発売の「カントリーライフ」誌に掲載され、大反響を呼んだ。100年前から幽霊の目撃談の絶えない屋敷だったが、写真に収められたのは、これが初めてのことで、世間を大いに騒がせた。
さらに、翌年1月にはライフ誌に取り上げられ、「茶色(褐色)の貴婦人」の心霊写真は、世界で一番有名な心霊写真の一つとなった。
レイナムホールには、その100年も前から幽霊の目撃談が絶えなかった。
いずれも女性の霊を見た、という目撃談だ。
一番最初に記録されている女性の霊の目撃談は、1835年のクリスマスのこと。
チャールズ・タウンゼント卿が開いたクリスマスパーティに招かれたゲスト数人が、「茶色のドレスを着た女性の幽霊」を見たと証言している。
その幽霊は、ゲスト数人のベッドルームに現れ、ある一人のゲストのところには翌日も現れたという。
さらに翌年の1836年にも、次の目撃談が記録されている。
世界的に有名な作家・チャールズ・ディケンズの友人であるフレデリック・メイヤー大佐(写真上)は、自ら幽霊が出るというレイナムホールで一晩過ごすことをリクエストした。
というのも、それらの幽霊の噂は地元の密輸業者たちが、幽霊を怖がって他の人がそこに寄り付かないようにしているに違いない、という自分の考えを証明するためだった。
その夜に起きたことを、メイヤー大佐の娘であるフローレンス・メイヤーが1917年になって、父親の体験談とし発表している。
その中でメイヤー大佐は、やはり夜にランプを持った”茶色のドレスを着た女性の幽霊”に遭遇している。
メイヤー大佐はその姿が、屋敷の中にあるある肖像画にそっくりであることを証言していた。
また、1927年にはタウンゼント夫人が、彼女の息子と友達が”階段で茶色の女性の幽霊を見た”と言っていたのを記録している。
それによると、その女性の幽霊の姿は、屋敷のなかに飾ってあるドロシー・ウォルポールの肖像画と同じだったというのだ。
実はその100年前も前から、レイナムホールでは女性の幽霊が目撃されていたという。
その日、彼らはホールのメイン階段の写真を撮影して、2階に上がるために階段を登ろうとしていた。すると、階段の上から「不思議な形をしたものが、次第に女性の形になっていきながら」降りてくるのに助手が気づいた。
助手のディレクションによって、プロヴァンドは慌ててカメラを向け、フラッシュをたいたという。
帰ってから、ネガを見てみると、そこには「茶色の服を来た貴婦人」の姿がはっきりと見て取れた。その写真の幽霊は「Brown Lady(褐色の貴婦人)」(写真下)という名が付けられたという。
▲ 「Brown Lady」
彼らの幽霊目撃談は、1936年の12月26日発売の「カントリーライフ」誌に掲載され、大反響を呼んだ。100年前から幽霊の目撃談の絶えない屋敷だったが、写真に収められたのは、これが初めてのことで、世間を大いに騒がせた。
さらに、翌年1月にはライフ誌に取り上げられ、「茶色(褐色)の貴婦人」の心霊写真は、世界で一番有名な心霊写真の一つとなった。
100年前からあった幽霊目撃談
いずれも女性の霊を見た、という目撃談だ。
一番最初に記録されている女性の霊の目撃談は、1835年のクリスマスのこと。
チャールズ・タウンゼント卿が開いたクリスマスパーティに招かれたゲスト数人が、「茶色のドレスを着た女性の幽霊」を見たと証言している。
その幽霊は、ゲスト数人のベッドルームに現れ、ある一人のゲストのところには翌日も現れたという。
▲ Captain Frederick Marryat
世界的に有名な作家・チャールズ・ディケンズの友人であるフレデリック・メイヤー大佐(写真上)は、自ら幽霊が出るというレイナムホールで一晩過ごすことをリクエストした。
というのも、それらの幽霊の噂は地元の密輸業者たちが、幽霊を怖がって他の人がそこに寄り付かないようにしているに違いない、という自分の考えを証明するためだった。
その夜に起きたことを、メイヤー大佐の娘であるフローレンス・メイヤーが1917年になって、父親の体験談とし発表している。
その中でメイヤー大佐は、やはり夜にランプを持った”茶色のドレスを着た女性の幽霊”に遭遇している。
メイヤー大佐はその姿が、屋敷の中にあるある肖像画にそっくりであることを証言していた。
また、1927年にはタウンゼント夫人が、彼女の息子と友達が”階段で茶色の女性の幽霊を見た”と言っていたのを記録している。
それによると、その女性の幽霊の姿は、屋敷のなかに飾ってあるドロシー・ウォルポールの肖像画と同じだったというのだ。
果たしてその幽霊は誰なのか?~「ドロシー・ウォルポールの悲劇」
▲ドロシー・ワルポールの肖像
伝説によると、ドロシー・ウォルポールは、実在した女性だった。
英国初代の首相とされるロバート・ウォルポールの妹であったドロシーは、チャールズ・タウンゼントという政治家の2番目の妻となった。
しかし、夫チャールズは怒ると凶暴になることで有名だったので、当然夫婦仲も悪かった。
そんなチャールズに耐えかねたのか、ドロシーはウォートン卿と密通する。
それをチャールズが知るところとなり、ドロシーはレイナムホールの1室に死ぬまで監禁されたという。
ドロシーは1726年に病死したと言われているが、実は何者かに階段から突き落とされたという説もある。
そして、「褐色(茶色)の貴婦人」は、恨みを抱えたた彼女の霊が屋敷をさまよっているのだ、とされているのだ。
果たして真相は?~心霊写真は本物だったのか。
こうして、心霊写真に写っている幽霊の正体まで明らかになった「Brown Lady(褐色の貴婦人)」騒動だったが、後年になって本当に心霊写真だったのか検証されている。
一部の評論家は、写真が撮られたとされたとき助手がレンズにグリースなどを塗って画像を偽造した、と主張している。
ジョー・ニッケルの検証によれば、写真を見ると階段の手すり部分が一直線ではなく、二重の角度から写されていると指摘している。
つまり、この写真は二重露光によって撮られたとしているのだ。
はたして真相は?
参照元:Brown Lady