「ハーメルンの笛吹き男」は童話としてもよく知られた話だが、実はこの話は実話だと言われている。
ドイツ北部にあるハーメルンの町で今から7百年ほど前、この童話の元になったミステリーが起きたというのだ。それは、実に不可解な事件だった。大量の子供が突如として消え失せてしまったのである。子供たちは、まるで神隠しにでも合ったように、ある日忽然と消え失せてしまったのだ。
この伝説にはいろいろな仮説が提唱されてきたが近年、信ぴょう性の高い仮説が生まれたという。
果たしてその仮説とは?
「ハーメルンの笛吹き男」の童話
(写真:1978年に西ドイツから発行された 「ハーメルンの笛吹き男」の切手)
「ドイツのハーメルンの町でねずみが大発生し、被害に困り果てた人々は、
放浪のねずみ捕りに、いくらかの金と引き換えに退治を依頼した。
男は笛を吹いてねずみをヴエザー河におびき寄せて溺れさせ、ねずみを無事に退治した。
しかし、町の人は約束を反古にして約束のお金を支払わなかった。
激怒した笛吹き男は聖ヨハネとパウロの祭礼の日に、現れて
住民が教会にいる間に、笛吹き男は再び笛を吹き鳴らし、ハーメルンの子供達を街から連れ去った。
130人の少年少女が笛吹き男の後に続き、洞窟の中に誘い入れられた。
そして、洞窟は内側から封印され、笛吹き男も洞窟に入った子供達も二度と戻って来なかった。
物語の異説によっては、足が不自由なため他の子供達よりも遅れた2人の子供、あるいは盲目と聾唖の2人の子供だけが残されたと伝えられている。」
この話は実話だった?~ハーメルンに残る記録
この物語への最初の言及は、1300年頃にハーメルンのマルクト教会に設置されていたステンドグラスに見られるという。
このステンドグラスは1660年に破壊されたが、残された文献に基づいて現在のステンドグラスが復元された。このステンドグラスには、色鮮やかな衣装を纏った笛吹き男と、白い着物姿の子供たちが描かれているという。また、このステンドグラスには下記のような説明文が一緒に記されている。
”1284年、聖ヨハネとパウロの記念日
6月の26日
色とりどりの衣装で着飾った笛吹き男に
130人のハーメルン生まれの子供らが誘い出され
コッペンの近くの処刑の場所でいなくなった”
ここで記されている「コッペン(Koppen、古ドイツ語で「丘」の意)」とは、ハーメルンの街を囲むいくつかの丘の一つであるとされるが、どれを指すのかは不明とされている。
また、ハーメルン市の記録はこの事件から始まっており、ハーメルンの最古の記録は、この1284年の出来事を起点にした年代記として述べられている。
子どもたちはどこに消えたのか?
(写真:ハーメルン市にある笛吹き男の像)
このハーメルンの伝説については、さまざまな説がこの笛吹き男の伝説に仮説としてたてられた。
子供たちは何らかの自然的要因により死亡したという説、子供たちはヴェーザー川で溺死したとする説、土砂崩れにより死亡したとする説、流行病により病死したとする説などがあるが、近年信ぴょう性の高い説として、一つの説があげられている。
この失踪事件が発生した時期は東ヨーロッパに向かって開拓者がどんどん移住しており、 当時の子供は貴重な労働力であった為、ヨーロッパ各地で誘拐事件が多発していたという。
そして、事件が発生した6月26日はキリスト教のヨハネとパウロの祭日だが、元々はゲルマン民族の夏至祭りであり、 結婚式などで町中の大人達が教会などに集まっている事で、子供達への注意が怠っていた。
その隙をついて、かどわかされた大勢の子供達が、労働力としてルーマニアに連れ去られたという説だ。
実際、ルーマニアの中世の記録『キルヒャーの見聞録』には、“突然、聞いた事もない言葉を話す子どもがたくさん現れた”と記されているという。
製粉業が盛んで川の近いハーメルンの街は、ネズミが大量に増えるので、役所はネズミを捕る事を奨励して買い上げていた。
その為、 ネズミ捕りを商売にする流れ者が街にやってくるようになり、そうした現れては消える怪しい彼らと、子供の集団失踪が合わさって生まれたのがこの「ハーメルンの笛吹き男」伝説となったという説だ。果たして真相は?
なお、現在もハーメルン市には、道端で笛を吹き鳴らしてはならぬというれっきとした法律があるそうである。
参照元:ハーメルンの笛吹き男