「ソドムとゴモラ」は旧約聖書の「創世記」に登場する、天からの硫黄の火によって滅ぼされたとされる都市。この都市は住人が悪行を繰り返した為、神による裁きによって滅ぼされたと聖書には記されている。
ところが近年発見されたある石板から、この「ソドムとゴモラの滅亡」が実際に起きたことではないか?という研究がなされている。
果たしてソドムとゴモラの消滅の原因は何だったのか?そしてその石版があらわしている
「紀元前3123年6月29日」に起きた出来事とは?
聖書に記された「ソドムとゴモラの滅亡」
(画像上・ジョン・マーティン作「ソドムとゴモラ」、画像下・ハルトマン・シェーデル「ソドムとゴモラの破壊」)
ソドムとゴモラとは、前述のとおり旧約聖書の「創世記」に出てくる街の名前である。
今でも悪や堕落の象徴として使われるソドムとゴモラは 当時、死海の南にある悪と快楽と退廃の都だった。
邪悪な心を持った人々は 異常な性愛に溺れて悪と腐敗にまみれていたといわれている。
邪悪な心を持った人々は 異常な性愛に溺れて悪と腐敗にまみれていたといわれている。
神はソドムとゴモラを滅ぼそうするが、いったんはアブラハムのとりなしを受け、正しい人が10人いれば滅ぼさないと約束する。
そしてソドムへ二人の天使を派遣して調べさせるが、ロト一家以外に天使を歓迎する人がいなかったため、ソドムとゴモラは滅ぼされることが決まってしまう。
天使たちはロト一家を救うため、ロトと妻、二人の娘の手を引いて町外れに連れ出す。そこから近くの町までロトが逃げてから、神は天から硫黄の火を降らして、ソドムとゴモラを滅ぼした。
せっかくソドムから逃げ出したロト一家だったが、神が「逃げる途中、決して後ろを振り返ってはならない」と告げたにもかかわらず、ロトの妻は後ろを振り返ったため塩の柱になってしまったといわれている。
以上が、旧約聖書に記されているソドムとゴモラの滅亡だ。
ニネヴェ遺跡で見つかった謎の石版が語ること
この、ソドムとゴモラの滅亡の記録かもしれないといわれている粘土板(写真上)が
古代シュメール文明のニネヴェ遺跡(写真下)から見つかった。
このタブレットは、“プラニ・スフィア(星図)”と呼ばれていて、19世紀にニネーヴェの王宮図書館の遺跡でビクトリア朝時代の考古学者ヘンリー・レイヤードによって発見されたもの。
この粘土板は紀元前700年頃にアッシリア人の書記官によって作られたとされ、
発見されてから、150年以上にわたり謎のままだったが、アラン・ボンドとブリストル大学のマーク・ヘンプセルが、その謎を解明した。この円形の粘土板にはその名のとおり星図が描かれており、ふたご座・木星などの惑星と、アピンと名づけられた正体不明の矢印が書きこまれており、この天体配置があった日の明け方の5時30分ころに、4分半かけてアピンは地上に落下したという記述が残されていたという。
ソドムとゴモラの滅亡の真相は小惑星衝突?
実際にアラン・ボンドの解析により、コンピューターでこの粘土板に記されている数千年前の夜空を再現したところ、「紀元前3123年6月29日未明」の状態であったと特定され、アピンの記述は典型的なアテン群小惑星の落下の記録であると結論付けた。
彼らによれば、この粘土板は、古代シュメール人による小惑星衝突の観測記録であり、それはオーストリア側のアルプス山脈にあるコフェルスで起こった天体衝突を記しているという。
このとき衝突した小惑星は直径が1.25km。
ギリシャ上空で大気圏に突入し、アルプス上空で爆発を起こしたという。その威力は世界最大の核兵器の100倍であり、ツングースカに落ちた隕石の1000倍とも言われており、破片は900キロ上空にまで達し、大気圏に再突入し、地中海を越えて、ソドムとゴモラがあったとされる死海周辺にまで及んだとされる。
破片は摩擦熱を帯び、瞬間的に地表温度は400度まで上昇したとされるため、小惑星の破片が飛んできた地域にいた人々は、瞬時に焼け焦げ、跡形もなく消えたと思われている。
先の聖書の引用では、ロトの妻が塩柱になったと表現されているが、おそらく瞬時に焼け焦げて死海に並ぶ塩柱のような遺体が残ったのかもしれない。
紀元前3123年6月29日
この小惑星衝突こそが聖書に記されたソドムとゴモラの壊滅を引き起こしたのではないかといわれている。
ソドムとゴモラの場所は特定されていないが、死海南部にあったとされている。
一説ではバブ・エ・ドゥラーがソドムではないかと言われており、2万人が埋まっているという墓も発見されているという。この墓の多さがソドムの大惨事を示しているのではないかとも推定されている。
ソドムとゴモラの場所は特定されていないが、死海南部にあったとされている。
一説ではバブ・エ・ドゥラーがソドムではないかと言われており、2万人が埋まっているという墓も発見されているという。この墓の多さがソドムの大惨事を示しているのではないかとも推定されている。
さらにこのことを裏付けるかのように、南アルプスの氷床コアの調査によって、紀元前3100年ころに急激な気温の低下があったという傍証的データが示されている。これは小惑星衝突によって、コフェルスで起こった小惑星爆発によって巻き上げられた塵や灰が地球全体を覆い、何カ月も太陽光を遮ったため、大規模な気候変動が起き、地球の大部分が急激に冷え込んだ証拠だと言われている。
参照元:ナショナルジオグラフィック、ソドムとゴモラ